むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

通勤ラッシュから環境危機を連想した話

きのうの夜の地震
私が住んでいる場所は震度4ほどで、揺れは感じたけれど物が倒れてきたり水道管が破裂したり停電したりガス漏れしたり、という被害は特になかった。

 

今朝の通勤時間帯。
朝早く出かけたはずの父が帰ってきた。
電車が動いていない。
うちから電車で出かけるには、オレンジ色のJRを利用するしか方法がない。つまりその電車が動かなければ、他に電車は通っていない。
さいわい、8時前には運転が再開された。

 

駅でしばらく待つことを覚悟したが、駅に到着すると次の列車は2駅前を出発したところらしかった。ラッキー。
次の列車が今どこにいてあとどれくらいでくるのか、駅員さんが3分おきくらいにアナウンスしてくれていた。ありがたい。
少し待って、乗車。ボックス席の窓側に座り、「人新世の『資本論』」を開く。
次の駅からどんどん人が乗り込んでくる。都内に向かう方面なので、1駅進むごとに人が増えていく。2時間遅れの、朝の通勤ラッシュ。

 

「車内の中ほどまでお進みください」

 

「手荷物を引いて今一歩ずつ中へお詰めください」

 

なかなか発車しない電車。
朝のラッシュの電車あるあるの光景。

乗客ひとりひとりは、きっとそのアナウンスをあまり自分事として捉えていない。もし仮に全員が協力的ならば、乗車した瞬間にできる限り車内の真ん中まで進み、隣の人との間隔をピシッと詰めて、またその隣に詰めて、スムーズな乗り降りができる。
でも実際はそんなことしない。できるだけ隣の人との距離はあけたいし、降りやすいようにできるだけ入口付近にいたい。そうしたひとりひとりの無意識ともいえる行動が、ちょっとずつ重なって、1分2分5分、と電車の遅れにつながっていく。

 

その様子を眺めていて。
これって、地球温暖化による環境危機の問題と似ている、そう思った。ちょうど手元に本あるし。

ひとりひとりは、別に地球環境を破壊しようとして生きているわけではない。むしろできれは何とかしたいと思っている人もある程度いると思う。
それでも、すでに無意識的に、環境破壊に加担している。
日常生活は資本主義の仕組みに支配されているから。

意識の高い数パーセントの人がどれだけ行動しても、結局はひとりひとりが日常生活から見直さない限り、自分の暮らしを考え直さない限り、南北格差も環境破壊も悪化の一途をたどる。
そして、きっと自身の暮らしが脅かされたり壊されたりしてはじめて、それに気づく。でももうその頃には取り返しのつない状況になっている。絶望しなくないなあ。

 

ニュースで、マンホールから水があふれ出る映像が流れていた。午前6時ごろ復旧作業は完了した、との情報もあった。
始発には間に合わなかったが、朝のうちには電車が動くようになっていた。鉄道会社の人たちは今日1日でいったい何回くらいの申し訳ございませんを発したのだろう。数分遅れただけでもきちんと謝罪をする。アフリカじゃ考えられないよ(偏見)。
当たり前に電車が動くこと、蛇口をひねれば当たり前に水が出てくること。スイッチを押せば当たり前に電気がつくこと。その裏には、当たり前をきっちりと支えてくれている人たちがいるということを、忘れないようにしたい。


いつも、ありがとうございます。