むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

生きるために生きる人々の美しさ

まず、暮らしがある。生きていくということがある。


大河ドラマ「青天を衝け」
すごく印象に残っているシーンがある。

血洗島編のたぶん序盤の方。
藍葉の刈り取りの終盤、終わったらお祭りだってタイミングで代官の無理な申し付け。
猫の手も借りたいくらい忙しいってときに、さらに男手を貸せというお代官様。
これじゃお祭りの準備はできないね、中止にするしかないね。
そんなのは嫌だ。栄一たち奮起する。

無事に藍葉の刈り取りも終わり、お代官様からの命令もクリアし、そこに獅子舞。

村のみんなの笑顔といったら。

 

そのシーンを見ていて、きっとここにいる人たちの中には、藍葉を刈るのが速い人もいるし、比べて遅い人もいる。力持ちで一気にたくさん運べる人もいれば、あまりたくさんは持てない人もいる。先頭に立って皆を引っ張るのが得意な人もいれば、一人でもくもくと作業をするのが得意な人もいる。腕や足が不自由な人もいるかもしれない。
そこに優劣は無いし、障害なんて言葉も存在しない。それぞれが、それぞれでできることをやるだけ。
村のために、自分ができることをやる。
人より刈るのが遅いからといって、白米の量が少なかったり、眠る場所が粗末だったりはしない。たぶん。

 

栄一たちのように、より良い藍玉をつくるために、皆で知恵を出し合って、試行錯誤していく。
農家から良い藍葉を高値で買えば、その農家は次の年さらによいものをつくろうとモチベーションが上がる。
根底にあるのは、皆の幸せ。
「みんなが嬉しいのが、いちばん嬉しい」
栄一の母の言葉。
少しでも暮らしが楽になればよいという思いが真ん中にあって、そのために工夫したり協力したりしながら、生きている。


そういう、関係性というか、姿というか、そこへの憧れというか、豊かさとはつまりこういうことだよね、という思いというか、そういうものがこのシーンにはぎゅっと詰まっているような気がした。

 

地方でのそれなりに安定していた仕事を退職して、地元に帰り、これからのことを考えている20代のこり約4ヶ月。


「できることを持ち寄って
支え合って
暮らしていく、生きていける場」


日記に、こう書いた。

「できることを持ち寄って」
は、前から興味があって前に内見に行った、国分寺にある”ぶんじ寮”の、モーションギャラリーの記事にあった言葉、この場所を表すひとつのキーワード。
それと同じ言葉が出てきた。
ぶんじ寮との関わり方は今はまだ曖昧だけれど、私がぼんやりと思い描いている豊かさに限りなく近い場所なんだと思っている。とても嬉しく思う。

 

企業理念ファーストではなくて、暮らす人ファースト、というか。暮らしファースト、というか。
ファーストがゲシュタルト崩壊しそう。

 

暮らしが中心。
前にも書いた、ライフ・ワークバランスの、ライフが先。


Greenzのモリウミアスの記事を読んでいて、
"自分たちの手で暮らしをつくる実感"という言葉があった。
"暮らしは生きること。
人は営みから生きている実感を得る。"

 

私がいま欲しているのは、暮らしをつくる実感、なんだろうな、と思った。

ザンビアに行ったときに感じた、生きるために生きている人たちのたくましさとしなやかさと美しさと。
宵越しの金は持たない江戸っ子の格好良さと。

そうわかったら、自ずとやることは見えてくる。