むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

愛なんだ、と思う

ここ数日、ずっと考えていることがある。
どうしたら彼を止められることができたのか、と。

 

きっと秀才で、地元では優等生と思われていて、いい子だと言われてきて、期待されて、自分もそう思っていて。
でも東京に出てきてからは、なかなかうまくいかなくなって。
自分は優秀だという高いプライドが足かせになったのだろうか。
世間の負の側面ばかりが目に付くようになってしまったのだろうか。
なんでも話せる友人はいなかったのだろうか。
大切にしたいと思える人には出会えなかったのだろうか。

 


世の中の全てが嫌に思える瞬間。
自分以外の全ての人が楽しそうに見えて、
自分だけが取り残されたように感じる瞬間。
周りの人が自分の悪口を言っているように感じるとき。
なんで自分だけ。
自分ばかり不幸なんだ。

 

ふいに感じることがある。

 

たいていは、少し時が経てばその闇からは抜ける。
私がそこから抜けるのを手伝ってくれるのは、音楽だったり本だったり、人の優しさだったりする。
誰かにもらってきたものや、誰かを大切に想う気持ち。
いつも最後は、「ああ、愛なんだ」そう思う。

 

映画「バケモノの子」の一郎彦と九太。
九太には、楓や熊徹の愛があった。九太もそれをちゃんと受け止めていた。
一郎彦は、自身の負の感情が大きくなりすぎて、猪王山の愛情をきちんと受け止める余地がなかった。

それと、九太は自分の中に闇があるということを知っていた。一郎彦はその正体を知らなかった。
九太は自分の気持ちを熊徹にぶつけることができた。一郎彦は感情を外に出すことができず溜めていった。

 

一郎彦が闇にのまれてしまったのは、自分のせいなのだろうか。心が弱かったからなのだろうか。人格がなっていなかったからなのだろうか。

 

彼の周りには、九太や楓や熊徹はいたのだろうか。
闇にのみこまれてしまう前に、手を差し伸べることはできなかったのだろうか。

 

向けられている愛に気づくには。