むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

一隅を照らす

29歳になりました。昨日から29歳。自分に言い聞かせます。

録画していたNHKの番組「中村哲の声がきこえる」を観ました。
アフガニスタンで、中村哲氏のもとで活動していた「ワーカー」と呼ばれる日本人の若者たち。
彼らはなぜアフガニスタンに渡ったのか。
中村哲氏やアフガニスタンから教えられたことが現在にどうつながっているのか、というような番組構成でした。

印象に残ったこととしては、「頭より体」「習うより慣れよ」「やりたいことよりもできること」。

ワーカーたちがアフガニスタンに来た理由は様々。
日本で挫折、何か大きなことをやりたくて、”国際貢献”のキャリアアップの一環として、など。
でも、中村哲氏はどんな動機の人も受け入れたそう。

”その人がいかに誠実に任務と関わり、自分の先入観を克服していかに虚心になりうるか、日本人としてのまごごろと心意気、素朴な人情を買ったのです。

(「丸腰のボランティア」より)”

ワーカーたちは、水不足を解消するために井戸を掘ったり、干からびた大地を農地に変え食料を確保するために用水路を造ったり。
目の前の、与えられた仕事をとにかくやる。毎日毎日、井戸を掘る。現地の人を説得して、交渉して、信頼されて。
なぜやるのか、といえば、目の前に困っている人がいるから。助けを求めている人がいるから。命の危機にさらされている人がいるから。その人たちのために働く。

「こんなことをやるために来たんじゃない」
「これはやりたいことじゃない」
「これは俺の仕事じゃない」
「もっと向いている仕事がある」

そんな言葉や考え方は、ここではちっぽけで頼りないものだなあ、と思いました。

「やりたいこと」はなんですか?
「夢」はなんですか?
もちろん、「夢」がある人は素晴らしいと思います。「やりたいこと」がある人はきっと毎日それに向かって夢中で、とても充実した日々だと思います。
でも、「やりたいこと」がないとダメですか?
「夢」がない人はダメな人間ですか?

”「一隅を照らす」
それぞれが置かれた場所でできることをする”

中村哲氏が大切にしていた言葉だそうです。

 

”一隅を照らす、というのは、一つの隅を照らすということですが、それで良いわけでありまして、世界がどうだとか、国際貢献がどうだとかいう問題に煩わされてはいけない。
それよりも自分の身の回り、出会った人、出会った出来事の中で、人としての最善を尽くす、ということではないかという風に思っております。
今振り返ってつくづく思うことは、
確かにあそこで困っている人がいて、何とかしてあげたいなあということで始めたことが、次々と大きくなっていったわけですけれど、それを続けてきたことで、人間が無くしても良いことは何なのか、人間として最後まで大事にしなくちゃいけないものは何なのか、ということについてヒントを得たような気がするわけです。
(「医者よ、信念はいらないまず命を救え!」より)”


貧困で苦しんでいる世界の人たちに何かしたいと思って大学で学び、でも自分ができることなんて何もないんじゃないか、自分は何がやりたいんだ、ともがいていた頃に、書き記した言葉。

「半径2m以内のものを大切にできなかったり
そこに困っている人がいるのに助けられないなら
『世界のため』だなんて
そんなのはただの戯言」

自分の周りのおかしな状況、困っている人。
自分ができること。
それの、積み重ね。

そんな風に日々を生きていこう、と改めてまっすぐ前を見据えなおせた29歳2日目でした。