むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

後の世の為

Eテレの番組「ハルさんのふるカフェ系」。

古民家好きの青年が古民家カフェを訪れて、その古民家のこととか地域のこととか人々の想いとかを知る内容。

私は好きでよく観ているのですが、このときは熊本にあるカフェの回でした。

 

熊本といえば加藤清正

カフェの前にある川は熊本城の外堀として整備されたものでしたが、同時に後世の平和な世を見越して商業用水路としても機能するように整備した、という話をやっていました。


加藤清正の口癖は『後の世の為』だったそうですよ」

と案内人の建築家の先生が言っていました。

 


「後の世の為」

徳川家康も、織田信長も、明智光秀も、坂本龍馬も、吉田茂も、後世の人々が、子や孫やその子や孫たちが、争うことなく、笑ってたのしく豊かに暮らせる世の中になるようにと、願って行動してきたんだろうな、と思うんです。

見つめる先は、50年後、100年後、200年後。


いまの世の中に、100年後を見つめて生きて行動している人がどれくらいいるのでしょうか。

 


私は?

ハッとされられました。

 


100年後の未来を見つめるには。

どんな未来にしたいか。

100年というとちょっと遠すぎて漠然としすぎているので、たとえば甥っ子が20歳になる、約20年後とか。


加藤清正徳川家康吉田茂は大きな社会のシステムごとつくったり変化を加えたりしましたが、私にはそれは難しいし、やりたいとも思いません。交渉とか苦手だし。

なので、小さなことからはじめます。

1人の100歩より100人の1歩。

べつに仕事を辞めたり変えたりしなくても、NGOでボランティアをしなくても、青年海外協力隊に応募しなくても、アクティビストにならなくても、毎日の暮らしを見つめなおしてみるだけで、できることって案外多かったりします。


学生のときにフェアトレードという動きを知って、ふだん何気なく買っている商品の裏側にいる生産者や流通の仕組みなんかが気になるようになってきて、消費者ひとりひとりの行動が変われば、世界は変わるじゃん!と発見して、その当時は認知度の低かった言葉も、10年くらいの年月を経て大手通信会社のCMで使われるようになって。

インパクトは決して大きくはないし、即効性もないけれど、じわじわと、ひとりひとりが自分にとっての心地よさや世界の不自然さに気づきはじめて行動した結果が、いま。


20年後、50年後、100年後の未来を、子や孫やその子たちのことを考える人がひとりでも増えたら、きっともっと素敵な未来になるんだろうなあと思います。あたりまえだけれど。


自分の行動が、態度が、思考と矛盾していないか。

言い訳はしたくないなあ。