むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

【22】”余白”を味わう余裕を、古典は教えてくれるような気がする

お馴染みの。Eテレの番組「100分 de 名著
夏休みスペシャル、ということで今月は、”for ティーンズ”
「星の王子様」
走れメロス
「ソロモンの指輪」
ときて、最終回は

 

百人一首
テーマは、”古典と友だちになろう”

百人一首
100人の歌人から各一首ずつ歌を集めたもの
成立:13世紀ごろ(鎌倉時代)
編者:藤原定家
男女比:男性歌人79人、女性歌人21人
歌の割合:・恋43首・四季32首・旅4首・離別1首・雑20首

指南役は
木ノ下歌舞伎主宰・木ノ下裕一氏
小学三年生のとき落語に出会って以来、古典芸能にハマる
2006年に劇団設立
日本の古典作品を新たな切り口で上演

 

木ノ下氏によると

(百人一首は)500年間の非常に有名な人たちによるベストアルバム

番組では、木ノ下氏のおすすめする和歌を何首か紹介。

 

◎観ていて思ったこと

・”出会い”と”別れ”を大切にしよう、と思った
(手帳に書きました、この一首)

蝉丸
これやこの 行くも帰るも 別れては
知るも知らぬも 逢坂の関


逢坂の関:京都と滋賀の境。諸国を旅する人が行き交う交通の要所。
蝉丸:盲目の琵琶奏者ともいわれる。逢坂の関に庵を建て隠遁していた。

木ノ下版現代語訳
そうここだ 出発する人も帰ろうとする人も 知っている人も知らない人も 富める人も貧しい人も みんな行き交いすれ違い 会っては別れを繰り返す ここがその逢坂の関

木ノ下氏は小学生のとき、この一首をランドセルに入れていたそう。
落語が好きだが、周りに話が合う友達はいない。友達はテレビゲームやアニメに夢中。
友達ができないぞ、大変だ、と思う。
そんなときにこの歌を知る。

世の中を詠んでいるんじゃないかと思ったんです。

学校では友達を多く作りましょうとか、みんなと仲良くしましょうと教えられるわけですよね。
でもこの歌を詠むと、それは無理な話ですよと。
こんなにたくさんの人が行き交う中で、全員と仲良くするのなんて無理ですよと、出会っては別れますし、一生出会わない人だっているわけですから、その中で生きているんですよっていう、もうちょっとラクにかまえていいんですよ、っていうメッセージを受け取ったんだと思うんですね、そのときは。

 

何かのご縁で同じ場に一緒にいる、この一瞬一瞬はかけがえのないもので、それは何億分の一の出会いですから、とっても大事にしましょう、という風にも詠めるんですね
(木ノ下氏)

 

”出会い”と”別れ”を大切に。
会っているその瞬間を、会っていたそのときの思い出を、大切にしたいと思いました。
いい歌です。

 

・自分の語彙力を駆使して「感動」を加工したいと思った

凡河内躬恒(おおしこうちのみつね)
心あてに 折らばや折らむ 初霜の
置きまどはせる 白菊の花

冬の早朝、作者は戸を開け外を眺めると、そこには霜が。

木ノ下現代語訳
いや無理無理。真っ白な花をつけた菊の枝を折るなんて無理っしょ。だって見分けがつかないじゃん。あたり一面に初霜が降りて、どこが霜でどれが花か。適当に手をのばして折るしかないね。とにかくさ、目の前が白くて、輝くように白くて…。
いや、これ、すげえわ。

 

白いな、すげえわ、っていう感動を、どういう風に和歌にすればみんなに伝わるかなっていうことを考えてこういう表現になったんじゃないかなと思うんです。

昔の人は自分の語彙力を駆使して「感動」を加工するって、やっぱりすごいなと思うんです
(木ノ下氏)

 

うわ、すご…。
と思う瞬間って、生きているとときどきあります。
たとえば、ふと窓の外を見たらあたり一面が夕焼けでオレンジ色に染まっているとか、帰り道自転車に乗りながらふと上を見上げたら星がたくさん輝いているとか。
そういうとき、うわあ、きれい。と思います。
思って、この感動を、どうにかして表現したい、と思います。
こんなとき、絵を描くのが得意な人は、きっと絵を描いて表現するんだろうなあ。でも私は絵は描けません。手元にあるスマホで撮影するくらいしかできません。でもスマホで撮ると、どうしてもその感動を伝えるのが難しく。

言葉で、その感動を表現できたらきっと素敵だろうなあと思うんです。

写真というツールが、より綺麗に撮れるツールが、インスタグラムという加工できるツールが、ある現代だからこそ、逆にというか、あえてというか、言葉だけで感動を表現してみるという挑戦。わくわくしてきました。

 

・見えないものを見ようとする、贅沢さ

源実朝
世の中は 常にもがもな 渚漕ぐ
あまの小舟の 綱でかなしも

源実朝鎌倉幕府3代将軍
彼は浜辺に立ち、じっと海を見つめている

木ノ下版現代語訳
ありえないことだけど、世の中がずっと平穏のままあればいいのになあ。いつまでも、いつまでも。
絶えず変化し続ける波、そこに浮かぶ船、その船をつなぐ綱、その綱を引く漁師たちの手、手、手。
どうってことのないこの渚の景色が、今日はとても特別なものに見えるんだ。

この歌は、作者実朝の人生が大きく影響している。
彼は12歳で将軍になるが、政権争いが激しく、身内ですら信用できない状況だった(28歳のとき甥の公暁に暗殺される)。

実朝が、何を「かなしも」かなしいなあと思ったのか、ということを考えていくのが非常に楽しい。
古典の「かなし」というのは、心にしみてくるとか、感動とかそういう意味も入った大きな意味での「かなし」。
たとえば、綱手が「かなし」なら、自分は将軍だけれども実権は握れていない、そんな中で船を一生懸命引っ張っている漁師、そこには庶民の生活がある、ああいう暮らしいいな、自分にはないな、いとしいな、かなしいな、と思ったかもしれませんよね。
違う解釈でいくと、あの綱うらやましいな、かもしれませんよね、自分は激動の中であっちにいったりこっちにいったり揺れ動いているのに、あの船にはガイドラインの綱があって、あああの小舟はうらやましいな、かなしいな
(木ノ下氏)

31音だからかもしれませんよね、何もかも描けない。だからこっちがどういうこと、と想像する余白が生まれますよね、だから和歌って作った人だけで完成せずに、作り手と受け手の共同作業、信頼関係で世界が立ち上がっていく気がするんです。

 

和歌は「冷凍食品」だと思っているんです。熱を加えないと食べられないですよね、熱は”情熱”ですよね、自分自身がこの古典を好奇心を持って丁寧に読んでいくとか何かを調べていくとかすると、美味しく頂けるようになるんですね
(木ノ下氏)

 

”余白”を味わう余裕を、古典は教えてくれるような気がします。