むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

【11】文化財とか古い建物ってどうして撮影禁止のところが多いのだろうか

バラエティ番組「ぶっちゃけ寺」を観ていてふと思ったのですが。

 

文化財とか古い建物ってどうして撮影禁止のところが多いのだろうか

 

文化財が傷む、という理由から、フラッシュ撮影が禁止である理由は理解できます。
あとは、お寺のご本尊や神社の本殿は、神様仏様がおわすので、神聖な場所にカメラを向けるのはあまりよろしくないですよね、という感覚(?)から、禁止である、とか。

 

でもこの2つめの理由は実はおもしろいと思っていて、たとえば写真を撮ってもokな仏像もあるし、テレビカメラで撮影されていたり、本や雑誌などには写真としておさめられていたりしますし、ではその差は何なのですか、と聞かれたら、おそらく明確な線引きはないと思うんです。

私たち日本人の多くは、おそらく、ご本尊や本殿が神聖なもの、場所で、そういったものは写真に撮ってはいけないもの、ということが、なんとなくそういうものなんだろうな、と感覚的に理解していると思います。
でも、この感覚を、たとえば外国人に伝えるとなると、難しいなあと思うのです。

 

まあ仮に、ご本尊や本殿などは神聖なものだから撮影は禁止なんです、と言って理解していただけたとしましょう。
では、それ以外のもので、撮影禁止の文化財については、どのように説明できるのでしょうか、と思うのです。

たとえば、ぶっちゃけ寺でやっていた「二条城」
第15代将軍徳川慶喜が、大政奉還の旨を伝えた広間がある場所ですが、撮影禁止でしたたしか。
(二条城の中は全体的に撮影禁止だったような)

これを見ていて、タイトルの疑問が浮かびました。

確かに二条城は、この広間で起きた事は、時代を大きく変えた出来事であり、それを宣言した徳川慶喜は時の権力者であり、ある意味では神的な、神聖な存在だったのかもしれません。そういう意味で、ここも神聖な場所であるから撮影は禁止、という理由。
それはちょっと無理くり感がすごいといいますか、そんなこと言ったらもっと色んなものが撮影禁止、むしろ見ることすらもできない、という風になりかねないような気がします。

おそらく、二条城の撮影禁止は、神聖な場所であるから、という理由ではないような気がします。
商業的な理由とか、雰囲気が壊れるから、という理由とか。

まあたしかに、二条城の広間のところで、慶喜大政奉還したときどんな気持ちだったんだろうか、と思いを馳せている隣で、二条城いえーい!慶喜いえーい!とか、集団のおばさま方がスマホを必死に操作して前列を陣取っていたりとか、そういう光景が広がると、一気に萎えてしまうなあという想像はつきます。
あとは、写真を撮ってはい終わり、ではなく、もう少し、カメラには映らない部分を味わってほしい、感じ取ってほしい、とかいう思いがあるのだとすれば、その考えはわかりますが、その場合は何か別のアプローチで、味わうなり感じるなりを補う何かがあってもよいのではないかなと思います。

 

文化財、歴史のあるもの、そういったものを、ただ目に見える部分だけを見渡して、ほお、で終わってしまうのはもったいないと思います。
今目の前に見えていない、歳月であったり人々の想いであったり、祈りであったり、そういったものをより深く味わえたら、ただ写真で見るだけでは感じることのできない何かを感じることができたら、そういう人が多くなれば、写真を撮る人も少なくなっていくような、多くの人が写真を撮ることによって訪れる人が減るのではないかというような危惧もする必要がなくなるような気がします。

 

理想論でしょうかね。