むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

何度目かの、長野へ戻る途中

4月20日金曜日。仕事が終わって、ラーメン食べに行くか!って、後部座席に乗り込んで、窓から見えた三日月と、下に広がる長野山ノ内の夜景が、ものすごく綺麗で。


4月22日日曜日。土曜日の、横浜みなとみらいでの映画上映会と、日曜日の、地元での集まりを終えて、大磯の家に帰る途中で見た半月が、ものすごく綺麗で。


机の上には、佐渡からの便りが並んでいて。

 

テレビをつけて録画番組一覧を眺めて、ユーミンのSONGSを、ぼんやりと。
「旅は、帰れる場所が大切だということを教えてくれる」
画面の中のユーミンは、そう言った。

 

「どうして長野にいるのか?」
「流れ、ですかねー」
高校の部活の顧問の先生から聞かれた質問に、そんな返答をした。
話せば、長くなる話。
いや、実は数行で終わるかも。
でもまあたしかに、流れ、という言葉は間違ってはいない。

 

大磯は、いいところ。
神奈川も、湘南も。
山ノ内、湯田中も、いいところ。
佐渡も、いいところ。
きっとこれから行くところも、いいところ。

 

ここにいてもいいとは思う。
足りないものは、特にない。
いやきっと、どこにいても、同じような気がする。
どこにいても、足りないものは補える。
あるもので、うまくやっていける。

 

でも、いまは、ここにはいてはいけないような気がする。
ここは、過ごす場所、ではなく、帰れる場所。

 

帰れる場所がちゃんとあるという安心感が、私の足を動かす。

 

この安心感があるうちは、にこにこ笑って、前を向いて、ときどきは立ち止まって後ろを振り返ることもあるけれど、精一杯、生きる。

 

心細くなったときには、backnumberを聞いて、
わたしにとってかけがえのない、ひとりひとりの顔を思い出して、
思い出にひたって、
元気かなーってふいに連絡したりして。

 

自分が生きたいと思える生き方を求め続けることができて、どんな私でもいいねって言ってくれる人がいて、ちゃんと帰れる場所がある。

 

本当に、恵まれている。
もらってばっかり。
そのくせ、実は不器用で、伝えるのが下手だから。

 

そんな言い訳を並べたりして。

 

永い言い訳、っていう映画あったような。観てないけど。