むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

「”日本人”はこうあるべき」論について思ったこと少し

坂口安吾の「堕落論」を読んだことと、古き良き日本へ!みたいな風潮がよしとされていることに対するちょっとした違和感が重なって、書きだしてみたこと。

 「堕落論」については以下を。

mitoooomo.hatenablog.com

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「最近の人たちは、自分さえよければいいという思いが中心で、他人への思いやりがまったくない。公共のために尽くすという昔から日本人が大切にしてきた考えがおろそかにされてしまっている。それではよくない。世界情勢が不安定な今、国は一つにまとまり、国民は国のために尽くすべきなのである。どんな逆境にも屈することなく、一つになり我が国を発展させてきた先人たちを見習って」

的な話。

 

わからなくもないけど、なんか違うよなあと抱いてきた違和感。

国のためになにができるか、と問い続け動いた幕末志士たちは最近もてはやされていて、たしかに彼らの生き様はかっこよくて、それに比べると現代の人たちは、自分のことと、半径5mくらいの人たちのことしか考えていないような気がする。

そう思うと、「国のために」という感覚は取り戻す必要があるのか、と思ったりもする。

けれど、太平洋戦争に向かう「お国のために」は、おかしかったと思う。
けれど、戦後の復興、経済成長の過程での「国のために」は、そのおかげで今の日本があるということは事実としてあって、そのために人々がひとつの方向をむいて汗水たらしているという画は、たしかに美しいと思う。

 

だけど、あたかも、

国にために尽くすこと=昔から受け継がれてきた日本人の精神

みたいに位置づけられている感があるけれど、決してそうではない。と思う。

 

「国のために」という精神が生まれたのは、せいぜい明治時代から。
だってそれまでは、「国」が存在していなかったから。
そう考えると、ちっとも昔からの精神なんかではない。

 

ただ、江戸時代は、国の代わりに藩があって、藩のために生きることが美しいとはされてきた部分はあったと思う。
◯◯藩の◯◯ですっていうアイデンティティ
それが、幕末に勝海舟が「日本人」っていう価値観をつくって、日本人の◯◯、というアイデンティティができた。
そして、日本国と西欧列強という対立構造、ライバルをおくことで国を一つにし、まとめあげて国を進歩させていった。
結果として、よかった面もそうじゃない面もあると思う。

 

紆余曲折あって、国のためにの感覚が失われたという人もいるけれど、
わたしは、


国のために=日本のために


世界のために


にかわっただけのような気がする。

 

世界のために、なにができるか、なにがしたいか。

もちろん、世界には日本も入っているけれど、単純に視野が広がっただけというか。
「◯◯藩」が「日本という国家」に変わったときと同じように。

 

だからその、日本の国のためにつくすという国民性が失われたということと、
思いやり、他者につくす気持ち、他者に干渉する気持ちがなくなったということは、
まったくつながることではないと思う。

というか、失われていないし。

むしろ、日本だけ、日本人だけ豊かで幸せなったとしても意味ないよねって、世界には困っている人たちがたくさんいるよ、って、どうにかしなくちゃだめだよねって、ただ対象が広がっただけのこと。

 

というところで、1つすっきり。

 

でもなんとなくグラつく感覚。
地に足ついていない感覚。
わたしはなにものなのか、という感覚。
日本人ってなんなんだ、と問いたくなる感覚。

同じような感覚って、江戸から明治にかわる過程でも、人々は感じたのではないだろうか、と思ったり。
藩というアイデンティティがなくなりつつあったとき。

いや、だからこそ、さらに藩意識が強くなったのか。
薩摩、長州とか特に。

そのうち藩が県になり、各藩の伝統文化や精神は日本国の精神としてまとまっていった。
(この辺はまったくわからないな、各藩の特徴とか、藩がなくなる過程での人々の葛藤とか、知りたい)

きっといい面もそうじゃない面もあったと思うけれど、そのときも、◯◯藩の、というアイデンティティ持ち続けた人もいただろうし、そうじゃなくて日本人というアイデンティティ持っていた人もいたと思う。

 

そう思うと、いま、日本人が日本人であり続ける理由ってないような気がしてきた。

 

日本人が日本人であった理由は、地理とか風土とかに関係していたけれど、それはいってしまえばたまたま。
それが今は、どこにでもいけてなににでもなれる。
ほかの文化の方が性に合っているかもしれない。
日本のいわゆる伝統文化が性に合っているなら、そうすればいいだけのこと。
それを強制する理由はない。
それが悪だという理由もない。

 

日本人なんだから、世界のことよりまずは日本の問題を解決する方が先なんじゃないの?

っていう主張。

これに悩んだ時期もあったなあ〜。

いまははっきり、関係ないでしょ、って言える。

ということで、もう1つすっきり。

 

堕落論安吾が言いたかったことはこんなことなのかもしれない。

思考停止するな!
ってこと。