むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

【堕落論】2.堕落とは何か

100分 de 名著堕落論」(著:坂口安吾)の第2回。

 

第1回の内容のまとめはこちら。

mitoooomo.hatenablog.com

 

堕落のすゝめ。
日本人よ、日本国よ、堕落せよ。

堕落論の最後はこうしめられています。

“他人の処女でなしに自分の処女を刺殺し、自分自身の武士道、自分自身の天皇をあみだすためには、人は正しく堕ちる道を堕ちきることが必要なのだ。そして人の如くに日本も亦堕ちることが必要であろう。堕ちる道を堕ちきることによって、自分自身を発見し、救わなければならない。政治による救いなどは上皮だけの愚にもつかないものである。”

第1回で、
堕落とは、それまでよしとされてきた道徳観や美意識から目覚め、それらをはがし、自分自身で生きていくこと
とまとめられました。

しかしまた、安吾はこうも書いています。

“だが人間は永遠に堕ちぬくことはできないだろう。なぜなら人間の心は苦難に対して鉄鋼の如くでは有り得ない。人間は可憐であり脆弱であり、それ故愚かなものであるが、堕ちぬくためには弱すぎる。”

“堕落”とは、そんなに大変なものなのでしょうか。

たしかに、第1回でまとまった“堕落”ということ、言葉では理解できるような気がしても、実際に体で理解することはむずかしいような気もします。

 

そこで第2回は、
“堕落”とは何かということを、「続堕落論」(「堕落論」の約8か月後に発表されたもの)を参照しながら、より深く紐解いていく内容になっています。

ざっくりした内容
・“堕落”から“堕落”せよ。
・“堕落”は苦しいもの。だが唯一天国に通じる道である。
・堕ち続けなくてもいい。しかし今いる状況を疑い続けろ。

 

・“堕落”から“堕落”せよ。

“人間の、又人性の正しい姿とは何ぞや。欲するところを素直に欲し、厭な物を厭だと言う、要はただそれだけのことだ。好きなものを好きだという、好きな女を好きだという、大義名分だの、不義歯御法度だの、義理人情というニセの着物をぬぎさり、赤裸々な心になろう、この赤裸々な姿を突きとめ見つめることが先ず人間の復活の第一条件だ。そこから自我と、そして人性の、真実の誕生と、その発足が始められる。”

“日本国民諸君、私は諸君に日本人、及び日本自体の堕落を叫ぶ。日本及び日本人は堕落しなければならぬと叫ぶ。”

“私は日本は堕落せよと叫んでいるが、実際の意味はあべこべであり、現在の日本が、そして日本的思考が、現に大いなる堕落に沈淪しているのであって、我々はかかる封建遺制のカラクリにみちた「健全なる道義」から転落し、裸となって真実の大地へ降り立たなければならない。我々は「健全なる道義」から堕落することによって、真実の人間へ復帰しなければならない。”

天皇制だの、武士道だの、耐乏の精神だの、五十銭を三十銭にねぎる美徳だの、かかる諸々のニセの着物をはぎとり、裸となり、ともかく人間となって出発しなおす必要がある。さもなければ、我々は再び昔日の欺瞞の国へ逆戻りするばかりではないか。まず裸となり、とらわれたるタブーをすて、己れの真実の声をもとめよ。未亡人は恋愛し地獄へ堕ちよ。復員軍人は闇屋となれ。” 

 

現在の日本はすでに“堕落”している。
戦時中の軍国主義だけが“堕落”ではない。
封建遺制のカラクリにみちた「健全なる道義」(島国根性村八分など、戦後は平和主義や民主主義)が“堕落”である。
まずそこから“堕落”せよ。
それらのニセの着物をはぎとり、裸となって、人間となって出発せよ。

 

・“堕落”は苦しいもの。だが唯一天国に通じる道である。

“堕落すべき時には、まっとうに、まっさかさまに堕ちねばならぬ。道義頽廃、混乱せよ。血を流し、毒にまみれよ。先ず地獄の門をくぐって天国へよじ登らねばならない。手と足の二十本の爪を血ににじませ、はぎ落して、じりじりと天国へ近づく以外に道があろうか。”

“堕落自体は常につまらぬものであり、悪であるにすぎないけれども、堕落のもつ性格の一つには孤独という偉大なる人間の実相が厳として存している。即ち堕落は常に孤独なものであり、他の人々に見すてられ、父母にまで見すてられ、ただ自らに頼る意外に術のない宿命を帯びている。” 

“善人は気楽なもので、父母兄弟、人間共の虚しい義理や約束の上に安眠し、社会制度というものに全身を投げかけて平然として死んでいく。だが堕落者は常にそこからハミだして、ただ一人曠野を歩いて行くのである。悪徳はつまらぬものであるけれども、孤独という通路は神に通じる道であり、善人なほもて往生をとぐ、いはんや悪人をや、とはこの道だ。キリストが淫売婦にぬかずくのもこの曠野びひとり行く道に対してであり、この道だけが天国に通じているのだ。何万、何億の堕落者は常に天国に至り得ず、むなしく地獄をひとりさまようにしても、この道が天国に通じているということに変りはない。”

“悲しい哉、人間の実相はここにある。然り、実に悲しい哉、人間の実相はここにある。この実相は社会制度により、政治によって永遠に救い得べきものではない。”

“堕落”をすることはものすごく苦しいもの、エネルギーのいること。
固定観念をはがしていくことは自分の身の皮をはがすような苦しさ。
自分の生きる道は自分で探していかなければならない。
概して日本人は集団で同じことをやる。みんなと一緒にやっていれば安心だ、と。
それではだめだ。
ひとりひとりが自分の堕落の道をどうやって進むか。

 

・堕ち続けなくてもいい。しかし今いる状況を疑い続けろ。

“我々の為しうることは、ただ、少しずつ良くなれということで、人間の堕落の限界も、実は案外、その程度でしか有り得ない。人は無限に堕ちきれるほど堅牢な精神にめぐまれていない。何物かカラクリにたよって落下をくいとめずにいられなくなるであろう。そのカラクリを、つくり、そのカラクリをくずし、そして人間はすすむ。堕落は制度の母体であり、そのせつない人間の実相を我々は先ず最もきびしく見つめることが必要なだけだ。”

人間はなにかしらの制度をつくらなければ生きていけない。
すがるものがないと生きていけない生き物である。
なにかにすがりたくなる生き物である。
それは、人間は弱い生き物だからである。
安吾はその点を非難してはいない。
ただ、思考停止してはだめだということを言っている。
いまはこのカラクリの中にいるんだということを自覚する必要がある。
今いる状況を疑う意志を貫く必要がある。

 

 

感想


堕落=外にあるもの(この時代なら国、今の時代なら会社など)に自分を預けるのではなく、そこから離れること
堕落=会社のためにつくすことは美しい!という道徳観をはがすこと
堕落=世間の道徳観を捨てること
堕落=見栄もプライドも世間体もなにもかも捨てて、ただ己の声に従って生きること
堕落=考え、価値観、信じるものが変わること
堕落=自分自身で生きていくこと

 

世間の道徳観とか常識とか、むかしからの伝統だから、世間が良しとする考え方だから、という理由だけで、それにすがってそれにおおわれて生きる生き方は今すぐ捨てろ。
それらをはがしたところに、自分が本当に欲するものがある。
そうしてはじめて、本当に必要なものがわかる。
堕落してはじめて、自分の人生を歩むことができる。
堕落がスタート地点。

 

途中は、正直苦しかったですね。
“堕落”して生きる生き方はいいものだと思うし、わたしの生き方はたぶんそれに近いと思っているけれど、そんなもんじゃないんだぞと、“堕落”はものすごく過酷なんだぞと。手と足の爪を血ににじませる勇気はないなあ。
わたしの“堕落”は中途半端なんだなあと痛感させられました。
でも、そこは安吾
人間のことをよくわかっていらっしゃる。
そう、人間は弱いんです。まったく強くないんです。
たまにはカラクリに頼ってもいいよって、だけどそのときはいまカラクリに頼っているんだということを忘れてはいけないよって、そうしてまたそのカラクリから堕落して、自分自身の道を歩んでいけばいいんだって言ってくれています。

 

堕落論は、戦後、いままで良しとされてきた道徳観と、でもそれって本当に正しいの?と思い始めている自分の心の声にはさまれて身動きができなくなっている人への熱いエールのように聞こえました。
多くの人は救われただろうな。かなりの問題作ではあったと思いますが、「よく言ってくれた!」と、言いたくても言えなかったことを代弁してくれたような、すがすがしい気持ちになった人も多かったのではないでしょうか。それにしてもすごい勇気。
現代でも、似たような状況に陥って身動きがとれなくなっている人はたくさんいるような気がします。
同時に、自分自身へのエールというか、型にはまることのできなかった自分に対して、自分の生き方を肯定し、自分の生き方を世に問うているようにも感じました。

 

それから個人的には、文学と政治の関係について書いてある部分が、なるほどな、とすんと腑に落ちた感じがしました。

“人間と人間、個の対立というものは永遠に失わるべきものではなく、しかして、人間の真実の生活とは、常にただこの個の対立の生活の中に存しておる。(中略)しかして、この個の生活により、その魂を吐くものを文学という。文学は常に制度の、又、政治への反逆であり、人間の制度に対する復讐であり、しかして、その反逆と復讐によって政治に協力しているのだ。反逆自体が協力なのだ。愛情なのだ。これは文学の宿命であり、文学と政治との絶対不変の関係なのである。”

わたしは政治家でも文人でもありませんが、政治家と文人にこのことについて話を聞いてみたいです。
政治。
制度は人間を救うことはできないという感覚(あくまで感覚)は、あります。
でもそれでも政治が存在する意味は、意義は何なのか。
政治とは何なのか。
気になる論点です。

 

それにしても、坂口安吾の文章は、読んでいてスカッとします。

戦後に発表された「堕落論」。
堕落論的思想は、実は戦時中からすでに彼の中に存在していて、それは昭和17年に発表された「日本文化私観」に書かれているということで、第3回はその「日本文化私観」について掘りさげていきます。