むだなものを愛しつづけられる人間でありたい

たとえば誰かに手紙を書くように、何気ない出来事を綴るとしたら。

【堕落論】1.堕落のすゝめ

わたしはテレビが好きです。

テレビは子どもの教育によくないだの、目が悪くなるだの、バカになるだの、最近はなにかにつけて悪役になりがちなテレビくんですが、わたしは好きです。

もちろん、テレビを見てばっかりいたらバカになる、という意見には同感します。
見るに値しない、どうでもいい番組があふれかえっているなあと思います。

それでも、そんなことない、とっても質のよい番組もたくさんあると感じています。
(わたしはテレビ局の人間でも、制作会社の人間でもありません。ただ、いち視聴者です)

テレビ欄をながめて、おもしろそうな番組を見つけては録画して、時間のあるときに見ることがたのしみだったりします。

中でも特に好きで毎回欠かさず録画している番組があります。
Eテレの「100分 de 名著
(お馴染みの)

 

今回の名著は、

堕落論」(著者:坂口安吾)
1946年(昭和21年)に出版された本。終戦の1年後ですね。
坂口安吾が40歳のときの本。
敗戦直後の日本人に向けて、堕落を説いたエッセイ。
“堕落のすゝめ”的な。

指南役は、東京女子大学教授の大久保喬樹氏。
大久保氏は、大学紛争の真っただ中の頃、この先どうなるのかまったく見えないという状況の中で堕落論を読み、「あ、これでいいのか」と思えたそうです。

坂口安吾は、文学史的には無頼派と呼ばれるうちのひとりで、他には太宰治など。
弱気弱気な太宰治に対し、安吾は強気強気で世間に挑戦していた、無頼派の四番バッター的存在。
覚せい剤や大量の睡眠薬を使用したりもしていた破天荒な生き方で、48歳で他界。
代表作は、「白痴」「桜の森の満開の下」「不連続殺人事件」「信長」「安吾新日本地理」など。純文学、推理小説歴史小説、紀行文など様々なジャンルを執筆。
新潟県生まれ。

 

堕落論」のざっくりとした内容
・人間はなにも変わっていない。変わってきたのは世間の方である。
・世間が良しとしてきた道徳観は、歴史が都合良くつくりだしてきたものにすぎない。
・その道徳観をはがすこと=堕落
・堕落したところから、人生は始まる

いわゆる世間が成功というレールから外れてしまった人とか、いわゆる世間の常識とか価値観とかに多かれ少なかれ疑問を抱いている人とかにぜひ読んでもらいたい。
あ、これでいいんだな、って勇気がわいてくると思います。

わたしもそのひとりです。
出会えてよかった。

 

・人間はなにも変わっていない。変わってきたのは世間の方である。

半年のうちに世相は変わった。醜の御楯といでたつ我は。大君のへにこそ死なめかへりみはせじ。若者たちは花と散ったが、同じ彼等が生き残って闇屋となる。ももとせの命ねがはじいつの日か御楯とゆかん君とちぎりて。けなげな心情で男を送った女達も半年の月日のうちに夫君の位牌にぬかずことも事務的になるばかりであろうし、やがて新たな面影を胸に宿すのも遠い日のことではない。人間が変わったのではない。人間は元来そういうものであり、変わったのは世相の上皮だけのことだ。

戦時中、よしとされてきた道徳観。

“今日よりは顧みなくて大君の 醜の御楯といでたつ我は”
海行かば水漬く屍 山行かば草生す屍 大君のへにこそ死なめかへりみはせじ”

天皇のために命を捧げることが美しい

“ももとせの命ねがはじいつの日か 御楯とゆかん君とちぎりて”

→長い命なんていらないと、いつの日か戦いに行く君と誓い合って
→戦場で華々しく散っていった夫をいつまでも想い続けることが美しい

けれども、若い男は闇屋になるし、未亡人は新しい恋をする。
だが、それが人間というもの。
変わったのは世相の上皮だけのこと。

 

・良しとされてきた道徳観は、歴史が都合良くつくりだしてきたものにすぎない


“この戦争中、文士は未亡人の恋愛を書くことを禁じられていた。戦争未亡人を挑発堕落させてはいけないという軍人政治家の魂胆で彼女達に使途の余生を送らせようと欲していたのであろう。軍人達の悪徳に対する理解力は敏感であって、彼等は女心の変わり易さを知らなかったわけではなく、知りすぎていたので、こういう禁止項目を案出に及んだまでであった。”

“元来日本人は最も憎悪心の少ない又永続しない国民であり、昨日の敵は今日の友という楽天性が実際の偽らぬ心情であろう。忽ち二君に仕えたがるし、昨日の敵にも仕えたがる。生きて捕虜の恥を受けるべからず、というが、こういう規定がないと日本人を戦闘にかりたてるのは不可能なので、我々は規約に従順であるが、我々の偽らぬ心情は規約と逆なものである。”

“今日の軍人政治家が未亡人の恋愛に就いて執筆を禁じた如く、古の武人は武士道によって自らの又部下達の弱点を抑える必要があった。”

天皇制は天皇によって生みだされたものではない。天皇は時に自ら陰謀を起したこともあるけれども、概して何もしておらず、結局常に政治的理由によってその存立を認められてきた。” 

“要するに天皇制というものも武士道と同種のもので、女心は変り易いから「節婦は二夫に見えず」という、禁止自体は非人間的、反人性的であるけれども、洞察の真理に於て人間的であることと同様に、天皇制自体は真理ではなく、又自然でもないが、そこに至る歴史的な発見や洞察に於て軽々しく否定しがたい深刻な意味を含んでおり、ただ表面的な真理や自然法則だけでは割り切れない。”

貞節・武士道・天皇制」これらは、支配の都合のためにつくりだした歴史の産物である。
本来日本人は、ふらふら動きやすい人間である。
女性の心は変わりやすいし、憎悪心は長くは続かない。
だがそれでは、上に立つものが下をまとめることができないから、徳目を民衆に押しつけてそれらを抑えることで、支配をしてきた。
また日本人は、そういうものに従うことが美しいと感じる人間である。
運命・死・滅びの美など。
安吾自身も、その美しさを感じていた。

 

・その道徳観をはがすこと=堕落

“私は偉大な破壊を愛していた。運命に従順な人間の姿は奇妙に美しいものである。”

“あの偉大な破壊の下では、運命はあったが、堕落はなかった。”

“偉大な破壊、その驚くべき愛情。偉大な運命、その驚くべき愛情。”

“それに比べれば、敗戦の表情はただの堕落にすぎない。”

“だが、堕落ということの驚くべき平凡さや平凡な当然さに比べると、あのすさまじい偉大な破壊の愛情や運命に従順な人間達の美しさも、泡沫のような虚しい幻影にすぎないという気持がする。”

美しいと思っていたもの。信じていたもの。
それが幻にすぎなかったと気づいたとき。
自分で自分の生き方を考える余裕がなくなったとき、与えられた美意識や道徳観に従って生きることが美しい生き方なんだと、安吾自身もはまっていた。
しかし戦争が終わって、あれが自分をしばっていた、思考停止させていた幻影だと気づいた。
そこから目覚め、自分自身で生きていくこと=堕落。
人間が生きていく原点に帰る。
与えられた枠組みの中で生きるのではなく、生身の人間として生きていく。
自分の外にあるもの(戦争、敗戦、会社、学校)に自分を預けるのではなく、そこからひきはがしてみる。
それが堕ちるということ。

 

・堕落したところから、人生は始まる

“特攻隊の勇士はただ幻影であるにすぎず、人間の歴史は闇屋となるところから始まるのではないのか。未亡人が使途たることも幻影にすぎず、新たな面影を宿すところから人間の歴史が始まるのではないか。”

“人間は堕落する。義士も聖女も堕落する。それを防ぐことはできないし、防ぐことによって人を救うことはできない。人間は生き、人間は堕ちる。そのこと以外の中に人間を救う便利な近道はない。”

“戦争に負けたから堕ちるのではないのだ。人間だから堕ちるのであり、生きているから堕ちるだけだ。”

今まで信じてきたものが崩れ去ったとき。
あれは幻だったのだ、と、そんなものはとっとと捨て去って、足元を見てまた歩きだせばいいのだ。

 

第1回の内容、おわり。

「堕落」とは何かについて掘り下げた2回目の内容は、次回に。